JBCから思う 地方競馬の衰退とアラブ

JBC3競走は全てJRA勢の勝利で終わった。
それぞれ1番人気でない馬が圧勝するという面白い結果になった。
個人的には武豊のJBCクラシック7勝目で単勝もおいしく頂いたということで満足なのだが、

一頭感慨深い馬の出走があった。

それはJBCスプリント12着ゴーディーである。

何のことはない、南関東の重賞ウィナーでちょっと2着が多い
大井所属の競走馬なのだが、

この馬、サラ系なのである。

サラ系とはサラブレッド系種、ほとんどサラブレッドであるが、
血統の一部に不明なものがあったり、
サラブレッド以外(主にアングロアラブ)の血が混ざっていたり。

過去、日本競馬黎明期には、たくさんのサラ系が活躍した。

有名どころでは、第1回ダービー馬のワカタカが、
日本競馬最初の名牝であるミラの血を引くサラ系である。

最近ではほとんど見なくなったが、
南関東ではこのゴーディーと8月に引退してしまったがツルオカオウジが重賞ウィナーで
中央では2000年の京成杯で後のG1馬イーグルカフェを破ったマイネルビンテージが有名。

ゴーディーは2012年に南関東の重賞サンタアニタTを勝っているが、
改めて、中央のG1級と一緒に走っていること、
中央下がりのサラブレッド4頭を負かして入線したことに感動し、
また、過去のアラブの処遇と衰退に思いを馳せた。

どれだけ活躍しても、サラブレッド系種はその血統背景から、繁殖としては敬遠され、
自然淘汰的に数が減っていったが、(そのこと自体は至極当然だと思う)
こうしてゴーディーのような馬が現れると、
サラブレッド系種でも十分に戦えるのだということに気付かされ、

また、地方競馬のアラブに対する処遇、舵取りは失敗だったと思わざるを得ない。

サラブレッドは、スピードに特化してはいるが、それ以外の面ではアラブ種に劣る点も多い。
戦前の日本において競馬は軍馬育成の名目もあり、
スピードはもちろんのこと、スタミナ、丈夫さ、従順さも必要であったことから、
政府は1929年に軍馬の質向上を目的にアングロアラブの生産を奨励方針を打ち出した。

戦後の日本では、戦災復興のために、各地で地方競馬が産声を上げる。

馬資源として軍馬は必要なくなったが、競走馬としての需要は大きくなり、
当時まだ生産頭数の多かったアングロアラブは、
中央地方問わず活躍の場を広げて行ったのである。

特に地方競馬では、丈夫なアングロアラブは、競走回数にも耐え、
サラブレッドに比べ、在厩頭数が少なくとも、
競馬の開催を行うに耐えうるだけの資源として重宝された。
ましてや中央競馬に比べ賞金の低い地方では、厩舎の規模も小さく、
1頭が多く走ることが求められ、生産にかかる費用も安い
アングロアラブは適任だったわけである。

1960年代まではサラブレッドと同等かそれ以上の生産が行われており、
中央競馬にもアラブの名馬はたくさん登場した。

今でこそ、地方は中央の二軍とも言える実力差であるが、
さほどアラブの価格が高騰しない生産界において、
賞金の安い地方からでも、有力馬は登場し、
アラブにおいては、地方>中央だった時代もある。

アラブの魔女と呼ばれたイナリトウザイが更なる高みを求めて、
中央から地方へ移籍するほど、
地方のアラブは充実していたし、レベルも高かったのである。

しかしながら次第にサラブレッドの資源が整ってくると共に、
安価で丈夫なアングロアラブの魅力は低下し、
どうしてもスピードで劣るアラブはサラブレッドの格下であることは否めず、
馬主やファンの支持も低下していくこととなる。

中央競馬ではアラブの廃止は早く、1984年のグレード制導入時には、
アラブ重賞の大半を廃止に、また開催はローカルに追いやり、
1995年にはついに全廃する運びとなる。

南関東や岩手県は、いち早くこれに追随し、
全国的にアラブ系競走の廃止や削減が進むことになる。

レースがなければ、馬も売れず、生産規模も縮小の一途を辿った。

アラブのメッカと呼ばれた、兵庫県も1999年にはサラブレッド導入。
アラブだけで開催していた益田は2002年に休止、
福山も2005年にサラブレッド導入を決めた。

2009年には福山で行われたアラブ系限定競争が終了。

2013年についに出走可能なアラブ系競走馬が全て引退し。
アラブの歴史は幕を閉じたのである。

歴史を紐解くと長くなったが、
ここからが本題である。

なぜ、地方はアラブを廃止したかという点である。

中央においては、世界を相手にし始めた1980年代。
純血のサラブレッドだけが世界で戦えるわけで、アラブは不要だった。

しかし地方は、アラブが不要だったのだろうか?

答えは否である。

アラブのみで開催している競馬場がある以上、
単純に考えてもアラブは重要な馬資源であり、
地方の生命線だったはずなのだ。

時を同じくして、地方競馬場の廃止が続いた。

2001年に中津競馬場が閉鎖して以来、
益田(2002)、
三条(2002)、
足利(2003)、
上山(2003)、
高崎(2004)、
宇都宮(2006)、
旭川(2008)、
荒尾(2011)、
福山(2013)
と立て続けに廃止され、地方競馬は大幅に縮小した。

直接アラブの縮小が影響して廃止になった競馬場が全てではないが、
福山、益田あたりは間違いなく直結している。

またアラブの生産牧場はどれだけの打撃を受けたのだろうか。
アラブに携わってきた人たちが、どれほど消えたのだろうか。

地方競馬が縮小すれば、日本競馬全体の競走馬数、レース数も縮小するということである。
生産規模、競馬で成り立つ経済規模も縮小したことだろう。

ここで、ある一つの方法は取れなかったのかと疑問に思う。

それが冒頭に紹介したゴーディーサラ系がヒントになる訳だが。

サラブレッド系種にサラブレッドを8代掛け合わせると、
その馬はサラブレッドとして認められるというルールがある。
9代前がアングロアラブでも、8代前までの血統表が全てサラブレッドで埋まっていれば、
それはサラブレッドなのである。

つまり、アングロアラブを資源とした、
サラブレッド系種の生産奨励は出来なかったのかということである。
アングロアラブはアラブ血量が25%以上を必要とするが、
その基準を撤廃すればよかったのではないか。

こうすることで、生産界は、すぐさまアングロアラブの繁殖牝馬を廃用にしなくても済むし、
サラブレッドの中でも安価な種牡馬を種付けしていくことで、
サラブレッド系種のレースがあれば、
生産規模を大幅に縮小することもなかったのではないか。

確かにゴーディーのようにサラブレッド相手に、
活躍するような名馬の出現は稀かもしれないが、
アングロアラブを母体としたサラブレッド系種の市場があれば、
地方競馬の衰退に少しは歯止めがかけられたかもしれないのだ。

必ずしもアングロアラブの血を残す必要はなく、競走資源として使えれば良いわけで、
アングロアラブ競走の賞金で新たにサラブレッドを購入することが出来、
自然と競馬の中で、アングロアラブを淘汰することが可能だっただろう。

言い方は悪いが、地方競馬を引退した馬が種牡馬として重宝されるとは思えない。
どれだけ活躍しようとも、稀に種牡馬になったとしても、数年で用途変更が関の山。
実力がどうあれ、中央の重賞ウイナーには叶わないのである。

だとすれば、地方が生産界を考慮する必要もなく、
サラブレッドという純血の世界基準に合わせる必要などなかったのだ。
牡馬は可哀そうだが、そもそもが種牡馬は淘汰の厳しい世界。
必要なのは、資源としての繁殖牝馬だけである。

いずれアングロアラブが不要になる時代は来る。

ただ余りにも、その時を早めすぎたのではないかと思う。

そんなことを思ったJBCスプリントだった。

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