オグリキヤツプvsマーチトウシヨウ | |||
| 1987年 | オグリキヤツプ | マーチトウシヨウ | |
| 5月19日 | 新馬 | 2着 青木 達彦 | 1着 原 隆男 |
| 7月26日 | 3歳 | 2着 高橋 一成 | 1着 原 隆男 |
| 8月12日 | 3歳 | 1着 安藤 勝己 | 2着 川原 正一 |
| 8月30日 | 秋風ジュニア | 1着 安藤 勝己 | 2着 川原 正一 |
| 10月4日 | ジュニアクラウン | 1着 安藤 勝己 | 2着 原 隆男 |
| 11月4日 | 中日スポーツ杯 | 1着 安藤 勝己 | 4着 原 隆男 |
| 12月29日 | ジュニアグランプリ | 1着 安藤 勝己 | 4着 川原 正一 |
| 1988年 | |||
| 1月10日 | ゴールドジュニア | 1着 安藤 勝己 | 2着 川原 正一 |
| 6勝2敗 | 2勝6敗 | ||
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オグリキャップとマーチトウショウの初対決は、5月。ダート800m。双方のデビュー戦。 出遅れかつエンジンのかかりが遅いオグリキャップを1番人気マーチトウショウが首差退けて優勝。 このとき3番手以下は5馬身、タイム差で1秒離されていた。 2度目の対決は7月。前回同様ダートの800m。 この間2戦を圧勝したオグリキャップが1番人気となったが、 マーチトウショウがまたも出遅れたオグリキャップを首差封じて優勝。 結果的にマーチトウショウの先着はこれが最後となり、 また笠松時代のオグリキャップの敗戦も最後となった。 3戦目もまたダート800m。 この間、オグリキャップの厩務員が変更となり、変更当初、蹄叉腐乱を起こしていたことが分かっている。 蹄叉腐乱の回復と、鞍上にリーディングジョッキー安藤勝己を迎えたオグリキャップは、 マーチトウショウを2馬身半下し、初めて先着する。 双方初の準重賞秋風ジュニアでは、距離が一気に600mも伸びた1400m戦。 マーチトウショウは2着を確保するも、4馬身差を付けられ、オグリキャップに完敗する。 重賞ジュニアクラウンは、前回と同じ1400m戦。 この間平場を負けたマーチトウショウは、前回の完敗もあり、人気を落とし3番人気。 レースは、後に重賞を3勝するトミシノシェンロンなどを含む7頭を2秒ちぎり、 オグリキャップが鼻差だけ、マーチトウショウを抑えた。 中日スポーツ杯、ジュニアグランプリでは、圧勝するオグリキャップに対し、 マーチトウショウはいずれのレースも1秒以上離された4着に沈む。 この後、中央移籍するオグリキャップとマーチトウショウは 年明けのゴールドジュニアが最後の対戦となった。 3kg軽い斤量のマーチトウショウだったが、オグリキャップに2馬身半の完敗だった。 1989年にオグリキャップが捻挫、繋靭帯炎で休養している頃、 実はマーチトウショウも中央入りしている。 残念ながら4戦して全て最下位に終わり、再度笠松へ、そして高知へ移籍している。 オグリキャップにマーチトウショウが先着した2戦はどちらも、800mの超短距離戦で、 オグリキャップは出遅れているが、土を付けた事には変わりなく、 特にジュニアクラウンで3着以下を2秒ちぎったことを考えると、 マーチトウショウも早熟ながら相当の実力を持っていたのだろう。 オグリキャップ移籍後はもう少し、頑張ってもよさそうなものの、 そもそも勝ち身に遅かった部分もあるが、オグリキャップというライバルを失って、 燃え尽きたのか。 オグリの最初のライバルは、タマモクロスではなくマーチトウショウ。 芦毛対決と騒がれたが、実はマーチトウショウも芦毛である。 |

